中村俊輔選手にありがとう
日本のニュースサイトで「中村俊輔選手が今シーズン限りで引退」という記事を読んで、スコットランド時代を懐かしく思い出しました♪
我が家がスコットランドで暮らしていた一年のあいだ、どれだけこの方のお名前を聞いたか数え切れません。
私たちが日本人だとわかると「ナカムラを知ってる?」と100%の確率で訊かれたし、セルティックファンはもちろん、ライバルチームのレンジャーズファンでさえも「セルティックにいたころは正直憎たらしかったくらい、彼は本当にすごいプレイヤーだったよ」と、異口同音に大絶賛。
その時は中村選手がグラスゴーを離れてすでに4年ほどが経っていたにも関わらず、現地ではまだまだ絶大な人気を誇っていました。
私たちのグラスゴーでの日々が過ごしやすかったのは、スコットランドの人たちのもともとの親切さに加えて中村選手が日本人の印象を良くしてくださったおかげも絶対あると思うので、心から感謝しています♡
長い間本当にお疲れさまでした!
こちらは、日本から遊びに来てくれた両親を連れて一度だけセルティックFCのゲームを観に行った時のちびら、当時4歳。



セルティックパーク

スタジアムに併設されているオフィシャルショップの出口には、中村選手のサイン入りユニフォームがひとつだけどーんと飾られていました。

なぜか血迷ってPEZを買ってしまった私^^;

これはサッカーが好きな昔の同僚にあげました。
Celtic FC


我が家の親戚のサッカー選手も去年引退して話題になっていましたが、その時よりもなんだか感慨深いです…(*´Д`)
我が家がスコットランドで暮らしていた一年のあいだ、どれだけこの方のお名前を聞いたか数え切れません。
私たちが日本人だとわかると「ナカムラを知ってる?」と100%の確率で訊かれたし、セルティックファンはもちろん、ライバルチームのレンジャーズファンでさえも「セルティックにいたころは正直憎たらしかったくらい、彼は本当にすごいプレイヤーだったよ」と、異口同音に大絶賛。
その時は中村選手がグラスゴーを離れてすでに4年ほどが経っていたにも関わらず、現地ではまだまだ絶大な人気を誇っていました。
私たちのグラスゴーでの日々が過ごしやすかったのは、スコットランドの人たちのもともとの親切さに加えて中村選手が日本人の印象を良くしてくださったおかげも絶対あると思うので、心から感謝しています♡
長い間本当にお疲れさまでした!
こちらは、日本から遊びに来てくれた両親を連れて一度だけセルティックFCのゲームを観に行った時のちびら、当時4歳。



セルティックパーク

スタジアムに併設されているオフィシャルショップの出口には、中村選手のサイン入りユニフォームがひとつだけどーんと飾られていました。

なぜか血迷ってPEZを買ってしまった私^^;

これはサッカーが好きな昔の同僚にあげました。
Celtic FC



エリザベス女王陛下崩御
午後、同僚の一人から「悲しいことに、ロンドン橋が落ちたみたいだよ…」というメッセージがチームチャットに入りました。
「ロンドン橋が落ちた」という言い回しはイギリスのエリザベス女王陛下が亡くなられた際に使われるフレーズとして知られているので、オフィスにいた全員が驚いて仕事の手を止め、すぐにBBCにアクセス。
「本日午後、エリザベス女王がスコットランドのバルモラル城で安らかにお亡くなりになりました」と繰り返し伝えているニュースをみんなで一緒に観ました。

「いつかはこういう日が来るってことはわかってたけどね。いざ来てみるとやっぱり悲しいね」とイギリス人の同僚がぽつり。
英国民の方々の喪失感には遠く及ばないけれど、私もスコットランドや英国連邦のカナダとオーストラリアという、エリザベス女王を国家元首に頂く国々に合わせて10年以上住んでいたのでなんだかすごくショックです。
カナダに住んでいたティーンの頃から日々エリザベス女王の肖像が印刷されているコインや紙幣や切手を使い、毎年クリスマスにはテレビで女王陛下のクリスマスメッセージを楽しみに拝見していたので、もうあのチャーミングなお姿を二度と観られないんだと思うととっても悲しい。
私が女王陛下のいちばんおそば近くまで行けたのは、8年前のスコットランド滞在中に王室主催の競馬「ロイヤル・アスコット」を観に行った時でした。

陛下がいらしたのはたった50メートル先だったのだけど、あまりに人が多すぎたので直接ではなく会場の大画面でお姿を拝見。
パレードの際に会場全体が大声で「God Save the Queen」を歌うなど大歓声が沸き起こり、陛下の人気の高さが伺えました。
エリザベス女王は去年亡くなった私の祖母と同じ年のお生まれで、お誕生日も一日違い(時差を考えるとほぼ同じ)。
同世代の祖母たちの分も、まだまだ長生きしていただきたかったです。
世界中から親しまれた女王陛下の存在感、威厳と気高さはいつまでも人々に記憶に残ることと思います。
長い間本当にお疲れさまでした。
ダイアナ元妃の突然の交通事故死の最中にある当時のイギリス王室の舞台裏を描いた大好きな映画「The Queen」を娘たちとも一緒に観ながら、女王陛下を偲びたいと思います。
どうか安らかにお眠りください。


一つの時代が終わった、という言葉はこういう時に使うのかもしれませんね(*´Д`)
「ロンドン橋が落ちた」という言い回しはイギリスのエリザベス女王陛下が亡くなられた際に使われるフレーズとして知られているので、オフィスにいた全員が驚いて仕事の手を止め、すぐにBBCにアクセス。
「本日午後、エリザベス女王がスコットランドのバルモラル城で安らかにお亡くなりになりました」と繰り返し伝えているニュースをみんなで一緒に観ました。

「いつかはこういう日が来るってことはわかってたけどね。いざ来てみるとやっぱり悲しいね」とイギリス人の同僚がぽつり。
英国民の方々の喪失感には遠く及ばないけれど、私もスコットランドや英国連邦のカナダとオーストラリアという、エリザベス女王を国家元首に頂く国々に合わせて10年以上住んでいたのでなんだかすごくショックです。
カナダに住んでいたティーンの頃から日々エリザベス女王の肖像が印刷されているコインや紙幣や切手を使い、毎年クリスマスにはテレビで女王陛下のクリスマスメッセージを楽しみに拝見していたので、もうあのチャーミングなお姿を二度と観られないんだと思うととっても悲しい。
私が女王陛下のいちばんおそば近くまで行けたのは、8年前のスコットランド滞在中に王室主催の競馬「ロイヤル・アスコット」を観に行った時でした。

陛下がいらしたのはたった50メートル先だったのだけど、あまりに人が多すぎたので直接ではなく会場の大画面でお姿を拝見。
パレードの際に会場全体が大声で「God Save the Queen」を歌うなど大歓声が沸き起こり、陛下の人気の高さが伺えました。
エリザベス女王は去年亡くなった私の祖母と同じ年のお生まれで、お誕生日も一日違い(時差を考えるとほぼ同じ)。
同世代の祖母たちの分も、まだまだ長生きしていただきたかったです。
世界中から親しまれた女王陛下の存在感、威厳と気高さはいつまでも人々に記憶に残ることと思います。
長い間本当にお疲れさまでした。
ダイアナ元妃の突然の交通事故死の最中にある当時のイギリス王室の舞台裏を描いた大好きな映画「The Queen」を娘たちとも一緒に観ながら、女王陛下を偲びたいと思います。
どうか安らかにお眠りください。



イギリスの母の日と職場のクラスター危機
イギリス人の同僚から「Happy Mothers' Day (UK date)!」とチームチャットにメッセージが入りました♪
イギリスの母の日はスコットランドで一度だけ経験しましたが、アメリカや日本の母の日より2か月ほど早いんだよね^^

続いて「僕Covidにかかっちゃったみたいで…金曜日にオフィスに来ていた人は検査してね」とのこと。
私は出勤日が火&金なのでドキッとしましたが、先週は忙しすぎて通勤時間がもったいないということでテレコミュートさせてもらっていたのでセーフ!
出勤しなくてよかった…^^;
うちのチームでは先々週にも日本人の同僚がかかったばかりだし、韓国人とロシア人の同僚もその前にすでに感染済み。
シンガポール人と中国人の同僚はイギリス人の同僚と共に金曜日に出勤していたので「…わかった、今日検査しに行ってくる」とのことで、もしかしたらクラスターが発生かも、な感じです。
来週はとある北欧の国の政府代表部にお呼ばれしているので楽しみにしていたのだけど、この調子だとみんなで行くのは無理そうだわ…涙


ちびあもお泊り会で風邪をもらってきたようでゴホゴホしています。テストキットの結果は陰性だったのでCovidではなさそうだけど、私もそのうち伝染るかも…(*´Д`)
イギリスの母の日はスコットランドで一度だけ経験しましたが、アメリカや日本の母の日より2か月ほど早いんだよね^^

続いて「僕Covidにかかっちゃったみたいで…金曜日にオフィスに来ていた人は検査してね」とのこと。
私は出勤日が火&金なのでドキッとしましたが、先週は忙しすぎて通勤時間がもったいないということでテレコミュートさせてもらっていたのでセーフ!
出勤しなくてよかった…^^;
うちのチームでは先々週にも日本人の同僚がかかったばかりだし、韓国人とロシア人の同僚もその前にすでに感染済み。
シンガポール人と中国人の同僚はイギリス人の同僚と共に金曜日に出勤していたので「…わかった、今日検査しに行ってくる」とのことで、もしかしたらクラスターが発生かも、な感じです。
来週はとある北欧の国の政府代表部にお呼ばれしているので楽しみにしていたのだけど、この調子だとみんなで行くのは無理そうだわ…涙



あの日何してた?それぞれの9.11
世界を震撼させた2001年9月11日の同時多発テロから20年が経ちました。

毎年この日がめぐってくるたびに、同僚や友人たちと「あの日どこで何してた?」という話になるので、今回いくつかご紹介したいと思います。
まずは私から。
20年前はスイスで学生をしていて、学校が終わってから家で翌日のファイナンスクラスのテストに備えて勉強をしていたところでした。
「スイスのお兄ちゃん」と呼んで仲良くしていたKさんから電話がかかってきて「Tiareちゃん、テレビ見て!ニューヨークのワールドトレードセンターに飛行機が突っ込んでる!」と言われたので「も~そんなことあるわけないでしょ?ハリウッド映画の宣伝じゃないの?」と返したのを覚えています。
その後どうやら現実に起きていることらしい、とのことで、家にテレビがなかったのでドイツ人のクラスメイト、クリスティーナの家まで走って行き、集まってきたクラスメイトたちと午後から夜にかけてずっとテレビのニュースを追いかけました。
私が当時通っていたのはアメリカの州立大学のスイス校だったので、翌朝登校するとアメリカ人の教授たちはみんな泣いていて「この状態だとファイナンスのテストは、もしかしたらキャンセルになるかも…」と思っていたのだけど、ばっちり実施されました。
映像を繰り返し見たせいか、その後私は飛行機恐怖症に…(涙)
だけど20年経って、少しずつ緩和されてきたような気がします。
KCはこの数か月前にアメリカの大学を卒業して、今も勤めているアメリカの投資銀行の東京支社で働き始めたばかりでした。
ニュースは夜テレビをつけて知ったそう。
直接話したことはないそうですが、当時同じ東京支社に勤めていた先輩のお父様がワールドトレードセンターに入っていた富士銀行の支店長さんで、このテロで残念ながら亡くなられたとのことでした。
子どもたちが生まれる前に働いていたアメリカの銀行で同僚だった男性の一人は、事件発生時にノースタワーにいたんだそう。
彼は当時40階に入っていたリーマンブラザーズで働いていて、みんなで立ち話をしながら朝ごはんを食べていると、突然の衝撃と共にぐらっと身体が思いっきり傾き、その後揺り戻しがあったので、最初は「地震?!」と思ったそうです。
その後同僚たちと一緒に下に降りた(エレベーターで…^^;)そうですが、最初に攻撃されたノースタワーよりも先に崩れたサウスタワーの崩壊を目の当たりにしたそう。
灰にまみれながら何とかその場を離れたものの、フェリーを出してもらえるまで結構待たされたそうで、ニュージャージーの家にやっと帰り着いたのはその日の夕方だったと話してくれました。
ちなみに彼はユーゴスラビア出身で、戦火を逃れてアメリカに移住した矢先にこの事件に遭遇。
さらにこの数年後には、勤めていたリーマンブラザーズが経営破綻する、という悲劇に見舞われました…。
同じお料理教室に通っていた日本人のママ友のKちゃんは当時富士銀行に勤めていて、ちょうど地下鉄のワールドトレードセンター駅に着いたところで事件を知ったそう。
会社に電話をしたら家に帰っていいと言われたので、そのまま引き返して難を逃れました。
9.11とは直接関係ありませんが…Kちゃんは3年前、40歳のお誕生日を目前に控えて乳がんで亡くなりました。
国連のアメリカ人の同僚は、当日朝にお母さんが泣きながら電話をかけてきて「飛行機がワールドトレードセンターにぶつかってきたそうよ。次は国連本部ビルが標的になるかもしれないって言われてる。お願いだからすぐに逃げて!」と懇願されたそう。
その後職場から家に帰るように指示が出たので帰宅したそうです。
日本人の同僚はノースタワーに飛行機が墜落したと聞いて、数人で国連本部ビルの高いところに上がって黒煙があがる様子を見ていたところ、サウスタワーに二機目が突っ込んだのを目の当たりにしたとのこと。
シドニー在住の日本人の友人Tさんはタクシーに乗っていたところ、ラジオを聴いていたアラブ人のドライバーが突然「やった~!」と雄たけびをあげて大喜びしていたので「どうしたの?」と訊くと「ニューヨークのワールドトレードセンターが飛行機で攻撃されたんだってさ。当然の報いだよ」と言ったのを聞いてとても複雑な気持ちになった、と話していました。
「生まれた時からそこに当たり前にあったワールドトレードセンターが、ニューヨークの摩天楼からなくなってしまったことがしばらくは信じられなかった」
「ダウンタウンを歩く時はいつも、どこからでも見えるワールドトレードセンターを目印にして方向を定めていたから、なくなってからもしばらくは上を見上げる癖が抜けなかった」
と、何人もの友人たちが異口同音に話してくれたことも心に残っています。
ニューヨーカーにとってワールドトレードセンターは、いろんな意味で大きな存在だったんだろうなあ…。
当時、この出来事をリアルタイムで体験した世界中の人々が、それぞれの立場や思いで過ごした9.11。
20年前には生まれていなかった娘たちは同時多発テロ事件のことは知ってはいるけど、学校ではそこまで詳しくは学んでいないそう。
私自身が映像を見すぎて飛行機恐怖症になったのであまり生々しいものは見せたくありませんが、アメリカ市民としてもニューヨーカーとしてもちゃんと知っておくべきことだと思うので、そのうち9.11のメモリアルミュージアムに連れて行こうと思っています。
9.11で犠牲になられたすべての方々のご冥福を、心からお祈り申し上げます。


山田詠美さんの小説「Pay Day!!!」はニューヨークのダウンタウンで生まれ育ち、9.11で母を失った17歳の双子の兄妹ハーモニーとロビンの喪失と成長の物語。悲しいけどとても素敵な小説です。思春期の子どもを持つ親御さんにもオススメ~(*´Д`)

毎年この日がめぐってくるたびに、同僚や友人たちと「あの日どこで何してた?」という話になるので、今回いくつかご紹介したいと思います。
まずは私から。
20年前はスイスで学生をしていて、学校が終わってから家で翌日のファイナンスクラスのテストに備えて勉強をしていたところでした。
「スイスのお兄ちゃん」と呼んで仲良くしていたKさんから電話がかかってきて「Tiareちゃん、テレビ見て!ニューヨークのワールドトレードセンターに飛行機が突っ込んでる!」と言われたので「も~そんなことあるわけないでしょ?ハリウッド映画の宣伝じゃないの?」と返したのを覚えています。
その後どうやら現実に起きていることらしい、とのことで、家にテレビがなかったのでドイツ人のクラスメイト、クリスティーナの家まで走って行き、集まってきたクラスメイトたちと午後から夜にかけてずっとテレビのニュースを追いかけました。
私が当時通っていたのはアメリカの州立大学のスイス校だったので、翌朝登校するとアメリカ人の教授たちはみんな泣いていて「この状態だとファイナンスのテストは、もしかしたらキャンセルになるかも…」と思っていたのだけど、ばっちり実施されました。
映像を繰り返し見たせいか、その後私は飛行機恐怖症に…(涙)
だけど20年経って、少しずつ緩和されてきたような気がします。
KCはこの数か月前にアメリカの大学を卒業して、今も勤めているアメリカの投資銀行の東京支社で働き始めたばかりでした。
ニュースは夜テレビをつけて知ったそう。
直接話したことはないそうですが、当時同じ東京支社に勤めていた先輩のお父様がワールドトレードセンターに入っていた富士銀行の支店長さんで、このテロで残念ながら亡くなられたとのことでした。
子どもたちが生まれる前に働いていたアメリカの銀行で同僚だった男性の一人は、事件発生時にノースタワーにいたんだそう。
彼は当時40階に入っていたリーマンブラザーズで働いていて、みんなで立ち話をしながら朝ごはんを食べていると、突然の衝撃と共にぐらっと身体が思いっきり傾き、その後揺り戻しがあったので、最初は「地震?!」と思ったそうです。
その後同僚たちと一緒に下に降りた(エレベーターで…^^;)そうですが、最初に攻撃されたノースタワーよりも先に崩れたサウスタワーの崩壊を目の当たりにしたそう。
灰にまみれながら何とかその場を離れたものの、フェリーを出してもらえるまで結構待たされたそうで、ニュージャージーの家にやっと帰り着いたのはその日の夕方だったと話してくれました。
ちなみに彼はユーゴスラビア出身で、戦火を逃れてアメリカに移住した矢先にこの事件に遭遇。
さらにこの数年後には、勤めていたリーマンブラザーズが経営破綻する、という悲劇に見舞われました…。
同じお料理教室に通っていた日本人のママ友のKちゃんは当時富士銀行に勤めていて、ちょうど地下鉄のワールドトレードセンター駅に着いたところで事件を知ったそう。
会社に電話をしたら家に帰っていいと言われたので、そのまま引き返して難を逃れました。
9.11とは直接関係ありませんが…Kちゃんは3年前、40歳のお誕生日を目前に控えて乳がんで亡くなりました。
国連のアメリカ人の同僚は、当日朝にお母さんが泣きながら電話をかけてきて「飛行機がワールドトレードセンターにぶつかってきたそうよ。次は国連本部ビルが標的になるかもしれないって言われてる。お願いだからすぐに逃げて!」と懇願されたそう。
その後職場から家に帰るように指示が出たので帰宅したそうです。
日本人の同僚はノースタワーに飛行機が墜落したと聞いて、数人で国連本部ビルの高いところに上がって黒煙があがる様子を見ていたところ、サウスタワーに二機目が突っ込んだのを目の当たりにしたとのこと。
シドニー在住の日本人の友人Tさんはタクシーに乗っていたところ、ラジオを聴いていたアラブ人のドライバーが突然「やった~!」と雄たけびをあげて大喜びしていたので「どうしたの?」と訊くと「ニューヨークのワールドトレードセンターが飛行機で攻撃されたんだってさ。当然の報いだよ」と言ったのを聞いてとても複雑な気持ちになった、と話していました。
「生まれた時からそこに当たり前にあったワールドトレードセンターが、ニューヨークの摩天楼からなくなってしまったことがしばらくは信じられなかった」
「ダウンタウンを歩く時はいつも、どこからでも見えるワールドトレードセンターを目印にして方向を定めていたから、なくなってからもしばらくは上を見上げる癖が抜けなかった」
と、何人もの友人たちが異口同音に話してくれたことも心に残っています。
ニューヨーカーにとってワールドトレードセンターは、いろんな意味で大きな存在だったんだろうなあ…。
当時、この出来事をリアルタイムで体験した世界中の人々が、それぞれの立場や思いで過ごした9.11。
20年前には生まれていなかった娘たちは同時多発テロ事件のことは知ってはいるけど、学校ではそこまで詳しくは学んでいないそう。
私自身が映像を見すぎて飛行機恐怖症になったのであまり生々しいものは見せたくありませんが、アメリカ市民としてもニューヨーカーとしてもちゃんと知っておくべきことだと思うので、そのうち9.11のメモリアルミュージアムに連れて行こうと思っています。
9.11で犠牲になられたすべての方々のご冥福を、心からお祈り申し上げます。


